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ーアセアン地域フォーラムの役割ー アジア太平洋の多国間安全保障協力 ーアセアン地域フォーラムの役割ー 松井 一彦 (本論文は2000年1月にハーバード大学から出版された英文の論文を要約したものである。) 序 アジア太平洋地域は極めて広大な面積を占め、宗教、文化、言語、経済発展、政治、社会構造といった様々な分野における多様性をその特色としている。 第二次大戦後45年近くにわたって米ソ両超大国を両極とする東西の冷戦体制が終焉した今日においても、アジア太平洋の安全保障環境は依然不安定かつ流動的である。また、この地域には冷戦時代の東西対立の遺物とも言うべき対立構造が今日でもなお存在している。このように、アジア太平洋にはその基本的な国際構造に起因する様々な国際紛争の火種が存在する一方で、この10年間に、それによらない新たな安全保障上の諸問題が顕在化しつつある。加えて、経済成長が著しいこの地域では、貿易、投資、金融を通じて域内諸国との経済的相互依存関係が深まっていることに加え、97年後半の金融危機に見られるごとく、世界的なグローバリゼーションの波に翻弄されている。 第二次大戦後、この地域の安全保障は、ハブ・アンド・スポークスと呼ばれる、米国とそのアジアにおける同盟国との間の二国間安全保障体制網に大きく依存してきた。しかし、90年代に入ると、政府間及び非政府間において様々な多国間の安全保障協力の枠組みが登場するに至った。既に欧州では冷戦期からソ連を極とする社会主義陣営の侵略から防衛するための西側集団防衛機構である北大西洋条約機構(NATO)のほか、多国間安全保障協力機構である欧州安保・協力会議(CSCE。後に欧州安保協力機構(OSCE)に名称変更)、西欧同盟(WEU)などの地域的安全保障機構が創設されるなど、重層的な地域安全保障構造が形成されている。これらの機構はそれぞれ明確な設立理念・目的を有しており、相互に補完しあいながら、全体として欧州の安全保障環境の改善及び紛争解決のために機能している。 本論文では、将来、アジア大平洋においてこのような重層的な地域的安全保障構造が形成される可能性について検討する。その足掛かりとして、多国間安全保障協力のための機関としてアセアンによって創設されたアセアン地域フォーラム(ARF)を取り上げる。本論文では、今日においても米国との二国間同盟がアジア太平洋の安定のために依然重要な役割を果たす中、アセアン地域フォーラムは全域的な多国間の安全保障対話の枠組みとして機能し、安全保障上一定の役割を果たしていること、また、予見しうる将来、それが多国間安全保障協力機構として成熟したものになったり、さらには、集団安全保障システムに発展する可能性は低く、したがって、アジア大平洋において重層的な安全保障構造が形成される可能性は低いことを明らかにする。この結論を導くため、まず多国間の安全保障システムの類型化を試みたした後、アジア太平洋地域の地域的特性、同地域における国際関係の特徴、アジア太平洋地域の安全保障環境の変化、安全保障に対する脅威、ARFプロセスの発展、ARFの多国間安全保障協力機構及び集団安全保障システムへの発展の可能性について分析する。 多国間の安全保障システム 初めに、多国間の安全保障システムについて概念を整理する*1。安全保障システムは、国力の程度、国家の行動を規制する国際法の存在などから見て、大きく覇権システム、勢力均衡システム及び集団安全保障システムに分けられる。覇権システムは、パワーの突出した国家が存在すること、その国家が覇権国として国際システム全体を管理し、覇権国を中心とする国際秩序を維持することを他の国々が認めている場合に成立するシステムである。 国際政治史の中で覇権システムはいくつか見られるが、冷戦後の米国を中心とした安全保障システムを覇権システムと捉えることもできる。また、勢力均衡システムは、パワーの突出した国家が存在せず、二カ国又はそれ以上の国家又は国家群の間においては、常に両者のパワーが均衡するような行動がとられることを言う。 このシステムの下では、一強国に対し、複数の国家が対抗する場合、複数の国家から成る同盟又は連合が対抗する場合などいくつかの形態がある。いずれにせよ、このシステムの下では、各国は安全保障上パワーが極めて重要であると認識し、少しでも相手側より優位に立つべくパワーの増強に努めようとするインセンティブが働く。このため、各国間関係は協調・協力的というよりむしろ対立・非協力的である。これに対し、集団安全保障システムでは、各国は一国ではなく集団で安全を保障しようという意思があり、不当に武力を行使した国に対しては、残りの国が共同で制裁を加えることに同意するものである。したがって、このシステムの下では、各国間の関係はより協調・協力的である。 さらに、多国間の安全保障システムは、潜在的脅威がシステムの内部に存在するかどうか、また、安全保障上の脅威や危険が発生した場合にそれに軍事力等によって対処するかどうかによって、4つに区分することができる。すなわち、脅威、危険がシステムの外にあり、それが発生した後に軍事力等で対処する場合を「集団的自衛」又は「同盟」システムという。また、脅威、危険がシステムの外にあるが、紛争、危機が発生しないように、複数の国の間で戦略関係を結ぶのを「戦略的パートナーシップ」と言う。また、脅威、危険がシステムの内部にあり、紛争、危機が発生した後に、システム内部の国が共同でこれに対処する場合を「集団安全保障」システムと言う。これに対し、脅威、危険がシステムの内部にあるが、紛争、危険が発生しないように、システム内部の国々が共同で措置をとる場合を「協力的安全保障」システムと言う。 以上を表に纏めれば、次のようになる。 脅威がシステムの外にある 脅威がシステムの中にある 紛争・危機対処型 集団的自衛 (又は同盟) 集団安全保障 紛争・危機予防型 戦略的パートナーシップ 協力的(協調的)安全保障 なお、協力的(協調的)安全保障という用語は、狭義では、欧州安保・協力会議(CSCE)における信頼醸成措置の導入、経済、人権分野における協力を通じた良好な安全保障環境の醸成を指すものとされているが、ここでは、より広く、脅威がシステムの中にあり、紛争や危機の発生を予防することを主たる目的とする国際システムを指すこととする。 アジア太平洋を見た場合、紛争・危機対処型としては、集団的自衛権に基づく同盟が種々存在するが、集団安全保障体制は構築されていない。また、紛争・危機予防型としては、米国と中国、中国とロシア等の間の戦略的パートナーシップに加えて、アセアン地域フォーラムなどの協力的・協調的安全保障体制が構築されている。 アジア太平洋の地域的特性 アジア太平洋は極めて広大な地域であり、地域としては世界最大である。この地域がどこからどこまでを指すかは明確に定義づけることは困難である。現にこれまでそれが明確に定義されたことはなかった*1。ある者は南北アメリカから中近東までの広範な地域を指すというであろうし、またある者は、それが太平洋を取り巻く地域と見なすであろう。歴史的な観点から言えば、東アジアでさえ長い間一体化した地域というより、分裂した地域であると見られていた*2。また、アジアは長い間太平洋と区別され、アジア太平洋という用語はごく最近まで用いられることはなかった。 特に欧州と比較した場合のアジア太平洋の最大の特色は、多様性にある。事実、この地域の国々では、国土面積、人口、民族、宗教、文化、言語に加え、政治・経済体制、社会構造、経済発展段階において極めて異なっている。また多民族国家もいくつかあり、これらの国々では、統一国家の維持が最大の政治課題になっている。 また、アジア大平洋は広大であるが故に、その国際システムも全地域的なものとサブ地域的なものの双方が併存している*2。サブ地域システムは、東南アジア、北東アジア、南アジアといった相互に密接な関係を有する国々の集まっているいくつかの地域に見られるものである。 二つ目は、地域システムの点である。アジア太平洋の地理的特性を反映して、同地域には全域的なシステムの下にいくつかのサブ・システムが存在する点である。アジア太平洋全域の国家間関係を規律するような国際システムや国際機構は非常に少なく、アジア太平洋経済協力(APEC)などわずかにあるだけである。また、サブ・システムとしては、東南アジア諸国連合(アセアン)などがある。他方、大国が集まっている北東アジアでは、政治・経済体制が異なっていることなどの理由や歴史的要因によって、サブ・システムとしての地域システムが創設されていない。あるのは、わずかに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核の平和利用を促進することを目的とした朝鮮半島エネルギー機構(KEDO)があるだけである。 三つ目は、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」と形容した社会主義体制の敗北と、貿易・投資の拡大、航空機の発達による移動時間の大幅な短縮、技術の進歩、特に電気通信技術の発達、マスメディアの発達等による世界的な規模でのグローバリゼーションの進展と価値の多様化は、次第に国家の役割を不明確にしつつある点である。さらに、一国の国益も多様化すると共に、国際社会の共同の利益と国益との境も次第に希薄になりつつある。97年後半にタイで始まり、瞬く間にアジア諸国に拡大した通貨危機はインドネシアにおいて政治不安をもたらし、長期に渡って同国を指導してきたスハルト大統領を政権の座から降りるのを余儀なくさせるという結果をもたらした。このようにアジア大平洋が「世界の成長センター」と形容されるほど経済成長が著しく、また貿易・投資、資金移動を通じて世界経済に完全に組み込まれた結果、アジア大平洋においては安全保障の概念が次第に広がってきている。 四つ目は、戦後50年以上経た今日でも、植民地支配や侵略の歴史に根ざした感情やわだかまりが克服されておらず、それがしばしば国際関係においても反映されることである *2 過去における日本の侵略の事実は、アジア諸国の人々から容易に消えないでいると指摘する識者も少なくない*1。 アジア大平洋の国際関係の特徴 アジア太平洋の国際関係の構造を見ると、際立った特徴がある。それは北東アジアと東南アジアの国際関係を規律するシステムが全く異なっている点である。北東アジアの国々は、日本、中国、韓国、ロシアといった経済的及び軍事的に強大であるのに対し、東南アジアの国々はほとんどが小国で、経済力及び軍事力の点でも圧倒的な力を有してはいない。このような違いは、国家間関係を規律する国際システムの違いにも反映されている。すなわち、北東アジアでは、覇権国の出現を阻止し、自国の安全を確保するという安全保障のためのシステムとして「勢力均衡システム」が見られる。この地域の国々は、戦前・戦中期における日本の侵略行動や植民地支配が生んだ過去が精算されず、いまだに相互に不信感が払拭されていない。このため各国の行動はどちらかというと協調・協力的というよりむしろ自律的であり、国益第一主義である傾向が強い。 他方、東南アジアでは多くの国が長い間列強の植民地であり、戦後独立を果たしたものの、絶えず強力な外部勢力によって脅かされてきたという歴史的経緯、また、これらの国々の安全保障上の脅威が、地域内の他の国家というよりむしろ国内あるいは域外にあるなどの理由から、域内の多国間協力や他の諸国との政策協調に積極的である。したがって、そこでは軍事力や経済力といったパワーを背景にした安全保障政策よりむしろ、共通の安全保障上の課題に対して各国が協力しながら取り組むという協力的安全保障の考え方が浸透している。 このように、北東アジアと東南アジアでは、国際システムが本質的に異なるため、全体を包括するシステムは80年代末まで出現しなかった。この地域で初めて創設された全域的なシステムは、ホーク・オーストラリア首脳提唱による1989年創設のアジア大平洋経済協力(APEC)である。APECは、この地域の高い経済成長を背景に、地域における貿易・投資の自由化、円滑化及び経済・技術協力を促進することを目的としており、政治・安全保障問題は非公式首脳会議で取り上げられることがある程度である。したがって、APECは地域的安全保障機構ではない。この地域で初めて創設された全域的な政府間安全保障機構は、94年に創設されたARFである。このほか、トラック2のものとしては、アジア大平洋安全保障協力会議(CSCAP)や北東アジア協力ダイアローグ(NEACD)などがある。 アジア太平洋の安全保障環境の変化 冷戦期においては、世界規模での権力構造が地域のそれをも支配していた。欧州では米ソ両超大国を中心とする東西両陣営が対峙するという二極の安全保障構造が形成された。これに対し、アジア太平洋でも1950年代までは東西両陣営の対立の構図が明白であった。しかし、50年代後半に中ソ対立が顕在化したため、それまでの二極構造の下部構造として、米国、ソ連、中国の三ヶ国によるサブリージョナルな安全保障構造が形成された。 冷戦期を通じ、アジア太平洋地域の安全保障環境は、こうした複雑な安全保障構造の下で比較的安定していた。そして、欧州と異なり、アジア大平洋ではソ連の政治的・軍事的影響力は強くなかったこともあり、冷戦期を通じて地域の安定の維持のために中心的な役割を果たしてきたのは、米国とアジア諸国との間の安全保障条約とそれに基づく米軍のプレゼンスであった。このことは域内の多くの国々から十分認識されてきた。事実、米国とアジア諸国との間では軍事力や経済力の差は極めて大きく、多くの国々は米軍のプレゼンスを自国の安全保障政策に組み込むことにより、安全を確保しようとした。 このように、米国とアジア各国との間の大きなパワーの差は、米国のアジア太平洋における多国間安全保障システムに対する消極的な態度となって現れた。他方、アジアの多くの国々も、この地域があまりにも広大であり、経済発展段階や政治体制等様々な面において極めて多様性に富んでいるため、安全保障上の問題に対して共通のアプローチをとることは極めて困難であり、多国間安全保障システムは、有効に機能している二国間の安保体制の機能を阻害する可能性があると捉えていた。冷戦期においてアジア諸国を地域の安全保障の枠組みに関与させるいくつかの試みがなされたが、いずれも地域の安全保障にとって必ずしも有効な手段とはなり得なかった。 冷戦構造の終焉とそれに伴う米ソ両超大国の軍事的プレゼンスの低下は、アジア太平洋地域、特に北東アジアにおける国際システムを二極構造から多極構造へと大きく変化させることとなった。二極システムから多極システムへの国際システムの変化は、安全保障環境の不安定・不透明さを増大し、同時に急激な事態の変化を招きやすいと言われている(ウォルト教授)。現に、このような多極化は、冷戦期の比較的安定した安全保障環境を不安定化、流動化させることとなった。そのため、順調な経済成長とも相まって、域内の多くの国々は、対外的な安全保障上の問題に対する関心を強め、軍備の増強に腐心させることとなった。 冷戦後の大きな変化のひとつは、域内大国のパワーバランスを変化させたことである。米国は冷戦の崩壊によって唯一の超大国になったものの、経済力の相対的な低下、様々な国内の政治課題を抱え、以前のようにアジア大平洋において圧倒的な軍事力を維持することが困難になってきた。また、ソ連は90年の社会主義体制崩壊後、市場経済へのスムーズな移行に失敗し、また軍事力を大幅に削減せざるを得なくなった。他方、中国は、社会主義市場経済体制の拡充、順調な経済発展を背景に、国軍の近代化と軍備の拡大を進めている。このように、米ロ両国の軍事力の低下と、中国の軍事力の上昇が顕著に見受けられる。 アジア太平洋の多くの国は小国であり、大国からの様々な脅威を認識している。とりわけ、南沙諸島の領有権をめぐる中国との対立は安全保障上大きな問題であると認識されている。また、これらの国々は、八十年代以降驚異的な経済発展を遂げてきており、財政的な余裕から装備の近代化を重点的に進めている。 安全保障上の脅威の変化 冷戦期においては米ソの圧倒的な軍事力によって、各国の国益を追求する行動、特に軍事行動が制約された。その結果、紛争が顕在化せず、また各国の安全保障上の脅威も軍事的な性格を帯びるものに比較的限定される形で認識された。冷戦の崩壊と米ソ両国の軍事プレゼンスの低下は各国の国益を追求する自律的な政策・行動を許容し、その結果、これまで抑止されてきた国際紛争が一気に顕在化した。中でも、国境や領海の範囲など各国の主権に直接関わる問題が大きな問題となって現れ、中には国際紛争の原因になるケースが現れるようになった。 ポスト冷戦期では、安全保障上の脅威は軍事的な性格を帯びたものにとどまらず、非軍事的な性格を帯びたものも次第に増加してきている。その中には、エネルギー、食糧、人口、環境などいわゆるグローバル・イシューが含まれる。このほか、国家に対する直接的な軍事的脅威に加えて、個々の国民の生命を・身体を危険にさらすテロリズムや麻薬なども次第に大きな安全保障上の課題になってきている。こうした新たなタイプの脅威は伝統的な脅威とは異なり、国境を超えて地域全体に拡大するという性質を有するため、各国は軍備の増強など軍事的な手段とは別個の対応を要求されることとなった。 ARFの特色 アジア太平洋においてはポスト冷戦期の90年代に多国間の安全保障の枠組みが創設された。その理由は様々であるが、米国の経済力及び軍事力が相対的に低下した結果、同国の市場と軍事プレゼンスの持つ重要性が低下するという事実に直面したアジア諸国が、地域の安全保障のために米国が十分な軍事的役割を果たせなくなるのではないか、それを補う装置が必要なのではないかと考えたことが大きい。 ARFは、上の分類でいけば脅威がシステムの中に存在すること、また安全保障上の脅威や紛争に軍事力で対処するものではなく、あくまでその未然防止を目的とするものである点から見て、協力的安全保障の範疇に入れることができるであろう。しかしながら、ARFは加盟国の相互理解と信頼関係の増進のために政治・安全保障対話を促進することを主要な目的としており、OSCEのように、お互いの軍事力の相互規制を通じて不透明性を最小限にし、侵攻や紛争が発生するような軍事力を持たないといった措置はとられていない。したがって、この場合の協力的安全保障の用語はより広い意味で理解される必要がある。 1990年、オーストラリア及びカナダの外相がOSCEのアジア版を提唱したとき、米国を始め大国の反応は冷ややかであったにも関わらず、ARFはなぜ創設されたのか。 言うまでもなく、そこにはアジア大平洋における安全保障環境の変化や大国、特に米国の軍事プレゼンスの低下など種々の要因があるが、中でも、米国が多国間の安全保障協力に対する態度を転換したことが大きい。91年以降、日本が大国及びASEAN諸国の双方に働きかけをしたことが功を奏して、92年1月の第4回ASEAN首脳会議では、ASEANはASEAN拡大外相会議を活用することにより、近隣諸国との政治・安保対話を強化することに合意した。翌93年、ASEANの年次閣僚会議において、タイの外相が、ASEAN諸国、オブザーバー国、域外対話国及びゲスト国参加の下に、域内の安全保障と相互信頼醸成に関する国際フォーラムを拡大外相会議の直前に開くことを提案し、多くの賛意がなされた。また、続く、拡大外相会議において、同会議のメンバーに、中国、ロシア、ベトナム、ラオス、パプア・ニューギニアの5カ国を加えた、 ARFには様々な特色がある。その第一はメンバー構成である。そこにはASEAN諸国のような小国と米国、日本、中国、ロシアといった大国の両方が含まれている。第二の特色は、その設立理念である。ARFは、「開かれた地域主義」という原則を採用しており、厳密な加盟資格はなく、その設立趣旨に賛意を示した域内諸国ならどこの国でも参加できる資格がある。そのため、94年の第1回会議以降も参加国数はすこしづつ増えてきている。ARFの第三の特色は、広範な信頼醸成措置(Measures for Mutual Reassurance)が採られていることであり、その範囲はOSCEのそれより広いことは既に述べた。特色の第四は、ARFが決定や取り決めに基づいて加盟国に義務を課すという法的なアプローチを取っていない点である。ASEANはARFを通じて地域の安全保障協力を漸進的に進めるために、すべての参加国が受け入れることのできる討議テーマを選択し、参加国間で自由な議論ができるように努めている。特色の第五は、会議の決定手続きである。すべての国が、会議の結論を受け入れることができるように、コンセンサス方式を取り入れている。最後の特色は、その設立時点から! こ! れまで、その活動がアセアン諸国主導で進められ、アメリカなどの大国はイニシアティブをとっていない点である。ARFが果たして国際機構として確立したものなのかどうかはさておき、大国と小国の双方が加盟している世界の国際機構の中で、小国によってイニシアティブが採られているものは聞くほとんどないといってもよく、この点でARFは極めてユニークな存在であると言える。 ARFプロセスの進展 ARFプロセスは、94年7月、18カ国の各国外相の参加の下、タイのバンコクで開かれた第1回目の年次会合を皮切りにスタートした。第1回年次会合は、わずか3時間しか討議に時間が割かれず、しかも発言が10分に制限されたため、顔見せ程度で終わった。しかし、一アセアン加盟国の首都にアセアン諸国のほか大国の外相クラスが集まり、政治・安全保障問題について討議したことは、近代史上初めてであり、画期的であった。 翌95年の第2回年次会合は、第1回会合に比べてはるかに中身が濃かった。会議では、各参加者から、地域の安全を高めるための具体的な手段について、多くの提案がなされたほか、フランスと中国が核実験を強行したことに鑑み、アジア太平洋の核問題が取り上げられた。会議では、フォーラムの目的、会議の運営方法、加盟国資格、加入条件、組織、採択された提案の実施方法などを明記したコンセプトペーパーが採択されるなど、いくつかの成果を上げた。また、具体的な信頼醸成措置として、政治、安全保障協力に関する対話と協議の強化、国防に関する報告書の提出、防衛当局者間の交流の推進、国連の通常兵器取引登録制度への参加なども合意された。 翌96年の第3回年次会議では、様々な安全保障問題が討議された。会議では、新規加盟国の参加基準が採択され、ミャンマーとインドの加盟が承認された。この結果、ARFはさらに守備範囲を南アジアにまで拡大することになった。また、初めて議題設定等において議長のリーダーシップが発揮された。 翌年の第四回会議で同様に広範囲にわたる問題が討議されたほか、ARFの役割についても討議され,プロセスの第二段階である予防外交について今後討議していくことが合意された。 98年の第5回年次会合は、97年後半からアジア全域に広がった金融危機と、会議の直線に強行されたインドとパキスタンの相次ぐ核実験を反映したものであった。討議の結果、金融危機が単なる経済危機ではなく、その危機は地域の平和や安定にも影響を及ぼすことを考慮に入れるべきであるとのパラグラフが議長声明の中に盛り込まれた。会議では予防外交について様々なアイデアが出されたが、その具体策については合意に至らなかった。 このように、ARFは、東南アジアの諸国間のみならず、それらの国々とと北東アジアの大国との政治・安全保障対話を通じて、対話が信頼関係の構築にいかに重要であるかを認識するとともに、国際安全保障の分野における協力の促進に寄与した。会議では、信頼醸成、軍事管理、平和維持活動、海上保安など安全保障のコアの部分に直接関わらない問題が取り上げられるなど安全保障分野での協議が進んだ。このうち信頼醸成については、安全保障対話、国防関係者の交流の促進、各国の国防政策の公表などに成果を上げてきた。ARFでは、これまで現実の地域紛争を解決するための具体的な成果こそ上げていないものの、紛争を武力に訴えることなく平和的に解決するためのイニシアティブを取り上げることに成功した。また、このほか、中国を地域の安全保障対話のための多国間の枠組みに参加させたことも成果であると指摘されている。*1 しかしながら、ARFプロセスにはいくつかの課題もある。ARFの性格を反映し、会議で各国の主権に直接関わるセンシティブな問題や、東南アジア以外の地域の安全保障問題を取り上げるのは困難である。その結果、アジア太平洋で最も緊張の高い北東アジアの安全保障問題に対しては無力である。 また、アセアンでは人権問題を始めとする国内問題、政治の民主化、民族対立や紛争などには介入しないという暗黙のルールがあるため、ARFでは、それらの国内問題がたとえ地域の安全保障問題に影響を及ぼすものであっても、それを取り上げることは不可能である。さらに、この地域のほとんどの国はリアリズムの安全保障観を有しており、現実の紛争処理を多国間協議に委ねることは認めないであろう。また、会議の決定がコンセンサス方式でなされるため、具体的な紛争処理のための方策が採られにくいという課題がある。 加えて、OSCEといった多国間安全保障協力機構とは異なり、ARFが常設事務局を持たないことも課題である。ARFはまだ初期段階であり、これらの諸課題は今後解決されるべき問題である。 ARFプロセスの将来 ARFがOSCEのような成熟した多国間安保協力機構に発展する可能性はあるであろうか。OSCEは全ヨーロッパの安全保障のための機関として、これまでの敵対関係を克服し、協力的な安全保障関係を樹立することを目指した安全保障機関である。そこで用いられる安全保障の概念は広く、政治、経済、環境、科学といったあらゆる分野を包括するものである。そこでは、人権の保障が安全保障にとり極めて重要であることが認識されている。そして、様々な安全保障に対する危険や脅威に対処するため、軍備管理、紛争予防、危機管理、紛争終結後の復興支援に取り組んでいる。基本的にキリスト教文化を共通の基盤とする欧州と極めて多様性に富むアジア太平洋とは全く異なっているため、ARFにおいてはOSCEと同じ方策を採ることは不可能であるばかりか、仮に採れたとしても十分な成果は期待できないであろう。すなわち、ARFとOSCEは同じ協力的安全保障のための機構とはいっても、構成国の政治経済体制、民主化の度合い、安全保障環境、加盟国の安全保障に対する考え方等が全く異なっているため、両機関において採られる措置は自ずと異なるものになる。 ARFが成熟した多国間安保協力機構になるかどうかは、いくつかの条件が満たされる必要がある。第一は、各国が安全保障対話を通じて、安全保障分野における協力を促進することによって、相互不信感を払拭し、より良好な安全保障環境を醸成することが可能となることについて、共通の認識が得られるかどうかである。第二は、一と関連するが、各国、特に大国が国際紛争や危機の解決を可能な限り軍事力によらないで、平和的に解決するという考えに立つかどうかである。第三は、もしARFにおいて紛争解決のための提案が合意された場合、紛争当事国がその提案を受け入れ、それを実行する意思があるがどうかである。 欧州と根本的に異なるのは、特に北東アジアのいくつかの国々がARFに加入しているといっても、それらの国々の行動原理は東南アジアの国々とは本質的に異なり、必ずしも協調的ではなく、加えて、前述のように、相互不信感が払拭されていない。そのため、安全保障対話がいくら進んだからといって、それが直ちに不信感の払拭、良好な安全保障環境の醸成をもたらさないことである。これまで、ARFにおいて信頼感の醸成に重点が置かれてきたのは、この地域では、欧州のような軍備管理や人権分野等における共同の取り組みを通じた安全保障協力の促進より、各国に共同体意識を持たせるために、相互の不信感を払拭し、協調・協力しあうことが国益、自国の安全保障に合致することを認識させることが極めて重要であることが、広く認識されているからに他ならない。換言すれば、この地域では信頼感の醸成が進まなければ、安全保障の分野での協調・協力は事実上不可能である。 ARFを通じて信頼感が醸成されていけば、国際紛争解決のために直ちに軍事力を行使しようとすることも、また実際に軍事力が使用されることも減少していくであろう。しかし、北東アジアの国々の中には、古典的な安全保障観を有する国もあり、そこでは、依然勢力均衡システムが存在している。したがって、ARFといった多国間の枠組みによって、紛争の平和的な解決がなされる可能性は低い。したがって、ARFプロセスが第一段階の信頼醸成から、第二段階の予防外交に移行できるまでには数年を要する上、第三段階の紛争の平和的解決まで行くのは、西暦2010年以降であると思われる。 仮に第三段階まで進んだ場合、ARFが国連型の集団安保機構に発展する可能性はあるであろうか。ARFは紛争を強制力によって解決を図る性格を有していない。ARF自身に強制力を持たせたり、各国の軍事行動をコーディネートするような機能を持たせることは、各国の思惑の違いもあり、極めて困難である。さらに、どの紛争を取り上げ、それをいかに解決するか、どの時点で軍事力を用いるかを決めることは、極めて困難である。もしそのような決定を下すためには、ARFの設立理念、目的、活動範囲、参加国の義務等を明記した設立条約を策定するとともに、機構の活動について責任と権限を有する専門の機関をARFの内部に作る必要があると思われる。いずれにせよ、これらはARF自体の性格を多国間の安保協力機構から集団安保機構に変質させることを要求するものであり、実現の可能性は極めて低いと考えられる。 むすび ARFの多国間安全保障協力機構としての成熟度を考えるならば、アジア大平洋において、欧州に見られるような重層的な安全保障構造が構築される可能性は予見しうる将来においてはないといえる。したがって、今後においても米国との間の同盟が地域の安全保障にとって重要な役割を果たし続けるものと考えられる。 しかし、将来、アジア大平洋において脅威の概念が変化していく可能性が高いこと、新たな形の脅威は一つの国だけでなく、地域の複数の国の安全を脅かす性格を有し、これには事後の対処のみならず、事前の予防措置が極めて有用であること、本来、同盟には紛争や危機に対する対処機能しかないこと、他の地域とは正反対に、ポスト冷戦期においてもアジア太平洋地域では東南アジア諸国や中国など、多くの国々が兵器の近代化など軍備の増強を図っており、米国の軍事力が他を凌ぐ状態は続くであろうが、その差は次第に縮小する可能性があること等を考え併せるならば、同盟を補完する事前の予防システムとしての多国間の安全保障システムが必要であることは明白である。それが故に、米国を始め各国ともARFのような多国間の安全保障協力機構に期待しているのである。ARFプロセスが着実に発展するかどうかはひとえに米国、日本、中国、ロシアといった大国が各国の思惑を超えて、そのプロセスの進展のために努力をするかどうかにかかっている。そして、そのプロセスの進展は、北東アジアにおける大国間の協力・協調システムの形成に寄与するものと考えられる。 |
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