NET・中古車査定 |
|
(99.12.20) はじめに 98年8月から99年9月まで約1年1ヶ月、アジア太平洋における安全保障に関する研究のためアメリカにで滞在した。8月末までマサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学で研究生活を送った後、首都ワシントンDCで安全保障についていろいろな専門家と会い、懇談した。 話の中身は大きく三つに分かれている。まず私が暮らしたボストン・ケンブリッジについて、次にハーバード大学での研究生活について、最後にそこでの安全保障に関する研究についてお話をしたい。実は、アメリカで生活をしたのは今回が初めてではない。これまで79年、89年、98年とほぼ10年間隔で三回ほどアメリカで生活する機会があった。79年の時はまだ学生だった。当時アメリカはカーター政権でしたが、マサチューセッツ州で生活しながら、英語を中心に勉強したことを覚えている。当時のアメリカは日本に比べると非常に豊かで、10年以上の開きはあるなと感じたことを覚えている。 89年はブッシュ政権下で、アメリカ連邦議会で議会制度やアメリカの政治などについていろいろ勉強をさせてもらった。この頃はアメリカ経済の状態がよくなく、逆に日本経済がバブルの頃で、日本企業によるニューヨークのロックフェラー・センタービルの買収などがアメリカでも大きく報道され、ジャパンバッシングが激しかった時期です。しかし、その一方で、日本に対する関心やあこがれも強く、日本について知りたい、日本語を学びたいというアメリカ人が相当数いたと思う。私のいた首都ワシントンではよくホームレスの姿を見かけ、アメリカの資本主義の影の部分を見た気がした。 今回はボストンに行ったわけだが、行くまでに新聞などで知っていたアメリカ経済の力強さがよく実感された。町の至る所で高層のオフィスビルや高速道路が建設されており、どこもかしこも工事中といった感じだった。また89年に来たときによく見かけたホームレスの姿はほとんど見かけなかった。1年間ボストンで暮らしてみて、日本とアメリカの差が、特に生活面での差がこれまで以上に開いたような気がする。まだその差はまだ5年以上あるなと感じた。いずれにせよ、アメリカが超大国であることをいやというほど実感した。 ボストンについて ボストンは、ニューイングランドと呼ばれるアメリカ北東部の諸州の中核都市で、マサチューセッツ州にある。ニューヨークの北東部に位置する。地図で見ると近いと思われるかもしれないが、アメリカは日本の25倍の広さのある大国なので、NYとボストンの距離はほぼ東京・京都間に相当する。車でも約5時間かかる。緯度はほぼ北海道の函館と同じで、冬の寒さは相当なものだった。だいたい零下10度から20度まで下がった。雪もよく降るが、外に出られない日はそれ程多くはなかった。夏は最高気温が30度を超える日は少ないですが、今年の夏はなぜかものすごく暑く、6月でも35度を超える日があったほどだった。 ボストンの人口は約60万人だが、周りに小都市が大勢あり全部併せると380万人くらいの人口になります。日本人は約5000人ですが、中国人がその10倍の5万人おり、よく中国人と間違えられた。アメリカは大変広い国なので、ボストンの町も中心部を除き非常にゆったりしている。町は赤煉瓦造りのシックな町並みだがが、車で20分も行くと日本の家の2倍くらいの大邸宅が並んでいます。ボストンの総領事のお宅におじゃましたが、敷地は何千坪もあり、門から玄関まで100メートル以上あり、ちょっとびっくりした。でもこのくらいの家は、実はボストン郊外ではごく普通なのだ。 ボストンの北側にチャールズ河がゆったりと流れている。まるで湖みたいな川で、ヨット遊びをしている人を大勢見かけた。私も日曜日などによく家族で川岸の公園を散歩した。 川の対岸が学術都市であるケンブリッジだ。ここにはハーバードとマサチューセッツ工科大学(MIT)というアメリカを代表する2つの大学などいくつかの大学がある。学術都市というと何かすごいところだという印象を持たれるかもしれないが、私が暮らした限りでは、中流以下の人達が多く住む非常に庶民的な町で、生活は予想以上にし易かった。ケンブリッジはなかなかおもしろい町で、約9万人の人口の5割が白人以外の人達で、いろいろな民族の人々が暮らしていた。また学生が全体の約3分の1を占めており、若い活気あふれる町だった。日本人が生活していても、他の都市のように変な目で見られることの少ない町であると感じた。 ケンブリッジの西にはいくつかの町があり、その町の一つがベルモントというボストンの高級住宅地になっている町だ。ベルモントはかつて皇太子妃の雅子様が高校時代に住んでおられた町で、大変緑が多く、大邸宅がずらっと並んでいた。この当たりの町はほとんどの住民が白人で、アジア系はごく僅かしかいないそうだ。 さて、ボストン地区の主な産業は教育、医療そして観光だ。この地区には60もの大学があり、アメリカだけでなく世界各地から学生が集まっている。ヨーロッパに近いこともあり、ヨーロッパの学生も多いが、特に目に付くのはアジアからの留学生だ。中でも中国、台湾は非常に多い。また日本人学生も多く、少なくとも1,000人以上はこの地区の大学に在籍しているそうだ。なかでも官公庁から派遣されて学んでいる方は多く、100人から200人くらいはいるようだった。現在、アメリカ全体では官公庁から大学などに派遣されている方はざっと500人以上いると思われる。たぶんその数は今後さらに増加するものと思われ、海外での調査や研究が完全に各省庁の日常業務の中に組み込まれていて、英語ができるできないにかかわらず、若手職員は対外折衝のある部署に配属されると、かならず海外で勉強することになっているのではなかろうか。 またボストンはアメリカで最も医療水準の高い町で、いくつかの有名な病院があり、外来、入院の患者が非常に多いと聞いた。高い水準の医療を受けるためにボストンに移り住む人も少なくないそうだ。ただ医療保険はかなり高く、毎月300ドルぐらいかかった。 三つ目の観光だが、ボストンは17世紀前半に造られたアメリカで最も古い町の一つで、アメリカ建国当時の古い建物や19世紀にたてられた煉瓦造りの建物が非常に多い。ボストンの中心部にボストン・コモンという公園があり、この当たりの風景はまるでイギリスのロンドンそっくりだ。イギリスを始めヨーロッパからきた観光客や移民の人たちは、ボストンに来るとものすごく落ち付くようだし、またアメリカ人でもヨーロッパ系の人達はボストンに旅することが好きだ。言うなればアメリカ人にとってボストンはちょうど日本人にとっての京都や奈良みたいなもので、一生のうち一度は訪れたい町だそうだ。 特に5月から10月までの6ヶ月間は大変観光客が多く、交通の便のよいホテルは2ヶ月前でも予約は取れないようだ。特に予約が込み合うのは5月末から6月にかけての大学の卒業シーズンだ。この時期は3ヶ月前に予約しないとまず無理のようだ。町は以外に小さいので、歩くのが好きな方は歩いた方がこの町の良さ、いかにイギリス的なのかがよく分かるだろう。 もしNYなどに行かれることがあったら、是非一度ボストンまで足を延ばして、ヨーロッパ的な町の雰囲気を味わわれてはいかがだろうか。特に世界の四大美術館の一つであるボストン美術館は必見だ。アメリカはプロスポーツの人気は大変なものですが、ボストンでもレッドソックスというMJBのチームがある。 ボストンから車で1時間のところにケープコッドというところがあり、ここは有名な夏のリゾート地だ。99年7月、ケネディ大統領の長男が飛行機事故に会ったマーサスビニアードという島もこの辺にある。このほか、先程述べたとおりボストン地区には60もの大学があり、理工系の頭脳を数多く輩出しているので、近郊には多くのコンピュータやハイテク関連の企業が集まっている。 ハーバード大学について アメリカには現在約2000もの大学があると言われている。アメリカの大学は概ね17歳から20歳台の学生を教育する機関で、日本との違いは、学部に比べて大学院の規模が大きく、平均年齢が約24、5歳と高いことだ。 これらアメリカの大学は、日本のように東大を頂点とするピラミッド構造にはなっておらず、一流と言われる大学が東海岸に約10校、西海岸に5校、中西部に5校、計20校ぐらいあって、これらが互いに切磋琢磨しながら、全体の教育・研究レベルを上げていると言われている。ハーバード大学はコネチカット州にあるイェール大学、プリンストン大学、カリフォルニアのサンフランシスコ郊外にあるカリフォルニア大学バークレー校、スタンフォード大学と並んでアメリカのトップ5と言われている。たぶん世界の中でもこれらはベスト10に入ると思う。 アメリカの一流大学のほとんどは一部を除き全部私立大学で、その教育の質は世界一であると言われている。アメリカの大学教育の特徴は、学生にもちろんしっかり勉強させるが、それだけでなく自分自身の考えや理論を持つようにさせることにある。ある大学の先生に聞いたところによると、大学入学時の学力は日本人に比べると少し落ちますが、大学の4年間にしっかり勉強させるので、卒業時点ではその差はかなり小さい、しかしまだ少し日本人学生の方が学力は上である、ところがアメリカ人の学生の多くは、さらに大学院に進学して2年間勉強するので、社会に出るときには日本人学生を追い抜くと言っていた。私の印象でもだいたいそんな感じだった。よく勉強するというのはその通りで、夏休み以外に大学生が学外でアルバイトをしている姿を見たことは一度もない。また、研究水準はヨーロッパや日本の一流大学と大きくは変わらないとのことだが、ただ大学が持っている研究費は桁違いに多く、日本人の大学研究者にはうらやましいだろう。 さて、ハーバード大学は日本の大学と多くの点で違う。学部の学生が比較的少なく、大学院教育が中心だ。大学院もアカデミックなものと実学とに分かれており、実学では、徹底的にケーススタディをして、リポートを書かせ、それに基づいて学生が議論している。公共政策の大学院であるケネディスクールなどは、自分が政治家になったつもりで演説をするという授業やテレビのドキュメンタリー番組制作といった授業があるそうだ。また付属の研究機関も非常に多く、大学院の学生の多くはこうした機関で働いたり、そこで研究したりしている。この大学の特徴は東アジア研究が強いことで、特に日本と中国の研究は群を抜いており、アメリカの対日、対中政策にも影響を及ぼしているそうだ。 さて大学の雰囲気だが、決して重々しいものではなく、キャンパスには自由な雰囲気が漂っている。ただ勉強の厳しさは日本の大学の比ではなく、特に外国人の場合には1日6時間くらいは勉強しないとついていけないと多くの学生が言っていた。学生も授業内容やレベル、指導方法を厳しくチェックしており、いい加減に教えたり、ちゃんと質問に答えないような教授に対し、辛い点数を付けているようだ。その点数は教授自身の評価になり、給与などにも影響するので、教える方も大変だ。 なお、ハーバード大学では助教授までは任期制をとっており、助教授のうち教授になれる人は数パーセントだそうだ。ほとんどの助教授は数年後には任期が切れるので、その間にせっせと論文を書き、自分で別の就職口を探さなくてはならないそうだ。なお、講師以上の教員は全員博士号を持っている。 ハーバードは私立大学なので、授業料は日本の大学の3倍はするが、全額を払っている学生はそう多くはないそうだ。企業や財団などからの寄付や研究助成が非常に多く、99年、マイクロソフト社のビル・ゲーツからの寄付によって、応用科学科の新しい研究棟が建てられた。 大学に政府からいくら助成金が出ているか分からないが、現在大学の基本資産は日本円で数兆円あるそうで、大学としてはたぶん世界一お金持ちの大学の一つであると思う。そのため、大学は多くの学生に奨学金を支給しており、特に成績が上位10%の学生には授業料を遥かに上回る多額の奨学金を出しているようだ。一体何人の学生がもらっているか分からないが、平均すると1人当たりの年間奨学金は2万ドル、日本円で200数万円にも上るようだ。奨学金は学部生だけでなく、大学院生にも支給されており、特に将来が見込まれる大学院生には数万ドルの奨学金が出ているようで、学生がお金の心配なく研究に打ち込めるように配慮されている。 学部は4年間、大学院修士課程は通常2年間、博士課程は7年間ですが、優秀な学生は短期間で単位を取り、残りの期間は留学したり、旅行したり、本や論文を書いたりしているそうだ。 ハーバードに行った動機 なぜハーバード大学に行ったのか? 実は4年前の95年から安全保障について調査研究をしている。たまたま96年に日本経済新聞の招きでハーバード大学から高名な政治学者であるジョゼフ・ナイ教授とエズラ・ボーゲル教授の二人が来日し、その公開シンポジウムを聞きに行った。両教授の東アジアの安全保障についての話がとても興味深く、一度大学できちんと安全保障について勉強できたら良いなとなんとなく思っていた。翌97年に海外留学の話があり、いろいろ海外の大学について情報収集を進める中で、以前アメリカの大学院に留学した経験のあるシンクタンクに勤務する友人にいろいろ話を聞く機会があった。私が日米安保やアジアの安全保障について勉強したいという話をしたところ、アメリカのケンブリッジにあるハーバード大学の日米関係研究センターはどうかと勧められた。 ケンブリッジでの生活 さてケンブリッジでの生活だが、私のいたアパートはケンブリッジのMITから徒歩10分のところにあり、ボストン市街からも15分と近い距離にあった。家賃はこの3年間に1・5倍になっており、ボストン地区でも家族4人で住む広さのアパートで月1400ドル、日本円で15万円以下の物件は非常に少なかった。おそらく大都会NYではどんなに古いアパートでも最低でも月20万円以上するだろう。 言葉の問題はさておき、困ったことと言えば、気温の変化が激しく、20度くらいあると思ったら、翌日は雪が降るくらい寒いこと、また全く雨が降らないときがあり、非常にのどが渇いたこと、特に冬の寒さと雪は強烈で、マイナス5度いかの寒さが連日続いたことなどです。ですから、よく1リットルの水の入ったボトルを持ち歩いていた。 それから食事がまずいことだ。大学のカフェテリアは5ドル以下で食事ができるが、固いパンとビザ、フライドチキン、サラダくらいしかなく、毎日食べることはできない。町のレストランは10ドルくらいかかるので、しょっちゅうは行けない。なぜこんなまずいものに何ドルも払わなくてはならないのかと思ったりした。ボストン・ケンブリッジは大変気品のある町なので、マクドナルドのようなハンバーガーショップは東京のように町の至る所にあるわけではない。あるボストンに住んでいるアメリカ人は、マクドナルドは日本かどこかのチェーン店ではないかと思っていたそうだ。それから、ボストンはアメリカの都市の中でも治安の良い方だが、それでも日本に比べると治安が悪いので、20ドルくらいしか現金を持ち歩かなかった。ほとんどの支払いはクレジットカードを使った。カードは便利だが、不正使用される問題もあるので、必ず利用明細を細かくチェックした。 アメリカで生活する上で当然英語は不可欠だが、現場の英語はいわゆる標準語とは少し違うし、早いので最初の頃はとまどった。流ちょうにしゃべるよりゆっくり正確に自分の考えを伝えるようにしないとなかなか相手にはわかってもらえなかった。アメリカは医療システムが日本と異なり、すべて診療は予約制だし、しかもひとりの担当医がすべて見るというやり方をとっている。病気になってもすぐに医者に診てもらえるとは限らず、下手をすれば1週間先と言うこともある。まず電話をして、症状などを説明し、医者とのアポイントメントを取らなければならない。実際、これは簡単なようで、結構面倒だった。 ボストンの物価は、高い家賃を除くと、だいたい東京の8割ぐらいだった。特に乳製品、肉類、公共料金、ガソリン、娯楽にかかる経費はかなり安く、たとえば牛乳1リットル100円、ビール500CC一 130円、ガソリンは1リットル30円前後、映画は新作が600円から800円くらい、メジャーリーグの試合約2000円だ。これでもアメリカの都市の中では高い方だそうだ。 大学での研究生活について 私はハーバード大学の一研究機関である「ウェザーヘッド国際問題研究所」の日米関係研究センターに研究員として在籍した。この国際問題研究所は1958年に、読売新聞にも時々「世界を読む」と題する記事を書いておられるヘンリー・キッシンジャー博士によって創設された機関で、これまでサミュエル・ハンチントン、ジョゼフ・ナイ、グラハム・アリソン教授などの国際政治学者が所長を務めた。傾向としてはリアリズムの安全保障政策の研究が特に強く、これまでアメリカの安全保障政策にも様々な影響を及ぼしている。従来、CIAという略称を使っていたこともあり、よくワシントンにある諜報機関である中央情報局(CIA)と間違われたそうで、70年代には研究所のビルが爆破されたこともあったそうだ。それで今はWCFIAという略称を使っている。この研究所には様々な研究センターがあり、学者のほかに政府官僚、外交官、軍人、ジャーナリストが在籍しており、総勢200人ぐらいの規模だ。この中で日米関係研究センターは、日米関係研究の重要性にかんがみ、1980年に駐日大使をされた故ライシャワー博士と小和田恒・前国連大使、現日本国際問題研究所理事長の手! に! よって設立された研究機関だ。初代所長をエズラ・ボーゲル教授が長らく努め、現在は2代目のスーザン・J・ファー教授が努めている。スーザン・ファー教授の専門は日本の政府や政治だ。なお研究所の初代事務局長はケント・カルダー博士であり、博士は現在、東京におり、前のアメリカ下院議長で、現在駐日大使をされておられるフォーリー大使の特別補佐官をしている。 各研究員にはそれぞれ8畳くらいの個室の研究室とパソコンなどが与えられ、そこを研究の場にして研究を進めている。そのほかに談話室や会議室もあり、研究所をはじめ大学の建物の中は火災の心配などがあることから完全禁煙だった。一般的に言ってアメリカの大学は規則が緩やかですが、なぜか煙草だけは非常に厳しく、同僚のひとりがうっかり煙草を吸ったら、翌日しっかり二度と喫煙しないようにとの注意のメールが届いたそうだ。私の研究室は6階建ての建物の5階にあり、隣に冷蔵庫や電子レンジ、電子コンロなどの調理器具がおいてあった。 研究員は週に1、2回開かれる定例の研究会に出るほか、他の関連の研究機関の研究会にも出ることが義務づけられており、平均すると一日に2つの研究会に出席していたことになる。勤務時間は特に決まってはいないが、研究会や大学院の授業でなかなか本や資料を読む時間がなかったので、概ね一日に12時間から14時間ぐらいは大学構内にいた。そして、土日は専ら論文の執筆に当てた。 大学での活動の一つは研究室での研究だ。図書館から借りてきた図書や自分で購入したものをそこで読んだり、インターネットで調べたりした。アメリカではインターネットや電子メールは電話並みに普及しており、それでとれる情報は日本とは比べものにならない。大学では電話をかけていくことは研究を妨げることになるので、電子メールを特に好んで使っていた。電子メールですと、すぐにと言うわけにはいかないが、必ず文書で返事が来るので、大変便利でした。教授や外部の方とのアポイントメントも電子メールで行いました。 大学には全部で99の図書館があり、図書や文献は非常に豊富だ。日本語の図書も30万冊近くあり、研究に必要なもの以外に、家族が読みたい本を借りた。アメリカの図書館の中でもこれほど日本語の文献がそろっているのは、ワシントンの連邦議会図書館くらいだろうと図書館の方は言っていた。各省庁の白書などの刊行物や資料もほとんどそろっていた。日本について研究をしている学者や学生は大抵日本語が読めるので、日本語の資料が海外の大学にあると利用価値が高いだろう。 研究室では、英文のワード・パーフェクトのソフトを用いて、いろいろものを書いていた。かなり使いやすいソフトで、他の研究者の話では、日本語もワードが良いという話だった。コンピューターにはアジアン・スイートという中国語や日本語を読むためのソフトがインストールしてあり、それで日本語の情報の70%から80%位は読むことができた。他の日本人の方の中には、日本語を読むためにわざわざ日本から自分のパソコンを持参した人も少なくなかった。 二つめが大学院の授業への出席だ。ハーバードは特に大学院の充実には目を見張るものがあり、学部より多くの講座が開講されている。授業の大半は30人以下だが、1人の教授に2人以上の助手がつくので、勉強の指導は助手から個別に受けることが一般的だ。私が受けたのは全部で6つの授業だった。ケネディスクールの授業も受けたかったのだが、残念ながら時間帯が合わずあきらめた。授業での教授の説明は、英語の問題がなく、ある程度予習をしていけば極めてわかりやすく、かつ丁寧だった。必ず授業の半分は質問に当てられ、多くの学生が教授にいろいろ質問していた。その場で答えられない場合には、後で電子メールで回答されていたようだ。国際関係の授業は、タフツ大学のフレッチャースクールにもなかなか良い授業があり、こちらの授業も受けた。フレッチャーは小規模な大学なので、一クラスが30人以下だった。アメリカの大学院は徹底的にいろいろな論文を読ませ、議論させ、自分の考えを論文に纏めることに特徴があり、勉強は相当きついが、日本人学生の話だと、日本の大学院に行くより間違いなく力が付くそうだ。 大学の各研究所はよく研究会、セミナーを開催しており、1日に2つくらい出席した。テーマもアカデミックなものからジャーナリスティックなものなど様々で、ハンチントン教授とジョゼフナイ教授のアメリカの国益に関するセミナーなどかなりおもしろく、セミナー会場は50人を超える人が押し掛け、会場に入りきれなくて外で音声だけ聞いている人もいた。昨年11月に行われたある安全保障のセミナーでワシントンDCの平和研究所のクローニン主任研究員を講師にお呼びしたが、講演の後の質疑応答であるアメリカの軍人が「日本の国会でのガイドライン法案の審議がされないのはなぜか? 日本は同盟国ではなかったのか?」と激しい口調で質問した。司会をされていたボーゲル教授も困った様子で、「今は日本経済が大変な状況であるので、国会は経済再生のための法案の審議に忙しい。次の通常国会では関連の法案が必ず審議されるので、もう少し待っていただきたい。」と答えていた。 大学にはアメリカの政治家、マサチューセッツ州知事、各国の前大統領、首相などがよく来て、話をしました。例えばマンデラ南アフリカ大統領、コフィアナン国連事務総長、シュミット元西ドイツ首相などだ。 研究テーマについて 私の大学での研究テーマは「アジア太平洋の多国間協力と日米関係」で、ARFを中心に研究しました。日米安保再定義は非常に意義のあることだと思うが、これが必ずしも近隣諸国に受け入れられていないこと、将来の安全保障を考えるに当たり、日米安保を補完する別の装置が必要ではないかと思い、その手がかりをつかむためにARFを取り上げてみようと思ったわけだ。研究所に120ページの英語の論文を提出したので、来年には出版される予定だ。 |
DION(DDI)インターネット! | 無料でホームページ! |